![[特典3-002]自我の「六重構造の罠」から抜け出す方法](https://salon.hikiyose-saikyou.com/wp-content/uploads/2022/07/012.jpg)
☆「多重構造の罠」から抜け出す方法
さて、今回は「多重構造の自我の罠」から抜け出そう!ということで解説してみたいと思います。
これはInstagramの投稿でも軽く触れましたが、
凄く夢のある話という感じでもないんで人気がないかなあと思うんですが、
実は非常に大切なことで、これを見抜いていくと、苦悩のほとんどは消えるかもしれません。
前回の「一番楽で楽しい道の選び方4選「無漏路へ帰る」」にもつながる話で、
「自分を認めてもらう」という余計な部分にエネルギーを使わなくなることで、本当に必要な部分にエネルギーを向けることができるようになります。
◎「自己顕示欲」という罠
さて、これが表面上で分かりやすい「罠」の一つとも言えますが、
「自分を認めさせたい」「自分がすごいと思われたい」という欲求なんですが、
まずこの「自分を誰かに認めさせたい」と感じる時点で、
本当は「自分自身に自信が持てなくて、誰かから褒められること、認められることで、自分を確認したい」という感じなので、
当然根本の心理としては、「私はこのままではいけないんじゃ?」ということが隠れています。
もし、自分に満足していて、「これで十分」と思えていたら、わざわざ人に認めてもらう必要なんかないですよね?
人に何を言われようが「いや、私が好きでやってることだから人に評価してもらう必要はない」という感じですよね?
つまり、「人に認められたい」と感じるということは、あなたの中に
「私には、足りない部分があって、それを埋めないと認められなくてちゃんと生きられない」
というような思いこみがあるということです。
◎「自己顕示欲」の二重目の罠「みんな必死」
そして、この「自己顕示欲」には単純にもう一つの罠が重なりやすくて、
「みんな自分を認めてもらおうと必死だから、誰もあなたを認めない」ということです。
この「自己顕示欲」というのは、誰しもが多かれ少なかれ持っています。
だから、みんな「自己顕示欲を満たそう」としたことがあるので、
「自己顕示欲を満たそうとしてるな、この人」というのがすぐに見抜けます。
「はいはい、凄いって言われたいんでしょ?」という感じです。
だから逆に「意地でも認めてやるか」という感じになってしまう人もいる。
もしくは、その相手も「自分が認められよう」と必死で、他の人の頑張っていることに気づかない。
だから、みんな頑張るけど、なかなかほめてもらえなくて、欲求不満に陥り、さらに「認められるためにはもっと頑張らないと!」という
キリの無いループに入り始める。
◎「自己顕示欲」の三重目の罠「みんな同じ」
そして、さらに「自己顕示欲を満たそう」とすると、
「世間からすごいと言われないといけない」ということなので、
みんな「同じようなこと」を頑張り始めます。
誰も注目していないことをやっても、なかなか認められない気がしますからね。
(でも実は、誰も注目していなかったことをコツコツやって、本当に認められる人が多いんですけどね)
世の中で誰かが認められて「すごい」と言われたことや、
世間で「これを手に入れたら幸せ」と言われているようなことを目指し始めます。
しかし、その「みんなと同じようなこと」を頑張ったところで、その最初に認められた人を超えるとかしないと、それほど認められないし、
その人自身というよりも、「記録」に対して、「すごい」と言われるので、
「自分が認められた」という感覚は薄いのです。自分の個性が認められたわけではないので。
さらに逆にみんなも頑張って目指していたことなので、先に達成すると、「嫉妬」「やっかみ」なども浴びせられることになりやすいのです。
自分が本当に望んでいるかも分からない、世間的にすごいと言われそうなことを頑張って、
結果が出なければ落ち込んだり下に見られて、
結果が出ても、あまり満たされないうえに、嫉妬されたり誹謗中傷を受けることもある。
そんなことしてまで「認められる」必要ありますか?
もちろん、そういうことが、本当に好きという人も中には居るかもしれませんが。
◎「自己顕示欲」の四重目の罠「敵対」
そして、そうやってなかなか満たされないことを頑張り続けていると、
「なんでこんなに必死にやってるのに認められないの!?」という不満は溜まるし、
その「報われない感」から、誰かが「認められている」のが許せなくなります。
それに、「頑張っていない」人を見ると、「なんで頑張らないんだよ!」「人は満足したら終わりだろ!」という感じで、
みんなも自分と同じように苦労していないと許せなくなり始めます。批判し始めます。
「世界」が敵になっていくのです。本当は受け入れて、認めて欲しいはずなのに、
自分の方から、世界を敵視して、受け入れないようになっていきます。
自分が「世界」を敵視しているのに、「世界」に認められようとする。
完全な矛盾の中に入っていくのです。
そして、そうなってくると、自分を好きになれない、自分を認められないという感じになっているのです。
「自分で認められない。世界を認めていない。」そんな人が本当の意味で認められて、受け入れてもらうことができるでしょうか?
お店で「いやあ、この店にある商品は全然ダメダメで、もっと頑張らないといけないし、世間もバカばっかりでねえこの商品の良さが分からないんですよ!」
とか言ってる店主のいるお店で買わないですよね?
◎「自己顕示欲」の五重目の罠「忘却」
そして、この時点までくると、
「自分が本当は何が好きで、何が得意なのか?」というようなことまで分からなくなってしまうんです。
あまりに「世間に合わせた自分」で生きている時間が長くなって、
自分が得意だったことや、好きだったことも忘れてしまう。
自分にとっての「幸せ」「喜び」が何かも分からない。
だから、引き返すこともできずに、「世間的な幸せ」を追いかけるしかない・・・
◎「自己顕示欲」の六重目の罠「論破中毒」
重度の「敵対」意識になっていくと、そもそも「認められたい」「みんなに愛されたい」ということが目的なはずなのに、
「こんなに頑張っているのに認められない」
「つまり、世間のみんなは目が曇っている。だから自分の価値が分からないんだ!」と
「自分は間違っていない!」ということを証明するために、
人の意見にいちいち反論するようになったり、相手の間違いを細かく指摘したり、
「理論武装」「論破中毒」になっていきます。
知識や理論によって、「自分は人より賢い」ということを示すために、
よく「掲示板」とか「コメント」でちょっと間違ったことを書いている人にネチネチと「正論」を書いているような人達です。
そんなことをすれば、余計に避けられて、認められることが遠ざかるのに、
「自分は凄い」と感じたいがために、人を批判することを利用しようとするのです。
その批判している間だけは、「自分が正しい」というあまり前向きではない満足感を得られるような気がするのです。
こういうのが高じてしまって、「通り魔」「道づれ殺人」的な事件を起こしてしまう場合もあります。
☆その罠から抜け出す方法
まあ、「罠」は細かいことまで言うと、もっと入り組んでますが、これぐらいで十分ですw
まずは、↑ここまで書いたような「罠」に気づいてください。
僕も完全にこういうことから脱却できているわけではないので、凄く気を付けています。
特に「批判」的な姿勢が出てきたときは気を付けるようにしています。
そういう時は、自分の中に自分で認められていない部分があるお知らせだと思っています。
あなたの内面を見つめて、「自己顕示欲」が湧いてくる瞬間を観察してみてください。
きっと基本的に、↑のような構造で湧いてきているはずです。
そして、そこから抜け出す方法なんですが、これが一般的に言われる
「頑張らない」ということなんです。
これが勘違いしやすいんですが、「何もしない」ということでもないんです。
まあ、最初は「何もしない」という時間も必要だと思いますが・・・。
つまり、前回も書きましたが「自分じゃないものになろうとしない」ということです。
「世間に認められよう」とか「足りない部分を埋めよう」という思いから何か行動するのはほとんど
「自分じゃないものになろうとしている」ことだと思います。
(何かをやりたい!と思って、それに対して必要だと思うことを学ぶのはまた別です)
人間というのは、自然に生きていれば、自然とその人の性質通りに生きるようになっています。
「認められよう」という努力を止め始めると、無駄なエネルギー消費が減るし、
リラックスできる時間が増えるので、「こんなことやってみたい」ということも少しずつ見えてくるでしょう。
そういう「自然と湧いてくる欲求」にできるだけ従っていくと、
認められなくても、気分が良くなって、満たされる時間が増えていきます。
そういう時間が増えていくと、まず「達成すること」「認められること」自体よりも「過程が楽しいんだ」ということに気づくようになっていきます。
今までの「認められよう」という生き方は、旅行で例えると、
「もう、行く道とか景色とかどうでもいいから、さっさと目的地に着いて、有名な観光名所をできるだけ、みんなよりたくさん回って、豪華な食事して、良いホテル泊まって(すごいと思われるために)Instagramに投稿しよう」
という感じですが、
「過程こそが楽しみだ」という生き方に変わっていくと、
行く道も、帰り道も楽しんでいられるし、それをゆったりと共有する人との会話なんかも楽しめるでしょう。
目的地についても、いかに効率的に回るかよりも、いかに自分たちが落ち着いて楽しめる場所を見つけるか?ということになるでしょう。
Instagram用に写真を撮ろうということも忘れがちですw
結局は人生全体が「過程を楽しむもの」なんです。
「何かを達成したらアガリ!」というゲームではありません。
もちろん何かを達成するために努力することも良いでしょう。
しかし、「達成できてもできなくても、やることが楽しい」ということの方が楽しめるでしょう。
本当にその時まで生きているか分からないような未来に向けて、
「いつか達成できたら幸せだろう。」と今は歯を食いしばって頑張る生き方
を選ぶのか、
日々挑戦すること自体を楽しんで、「今日味わう幸せ」を選ぶのか。
この微妙な違いが、人生の味わいの違いになっていきます。
そして、きっと、「今日を味わえる」生き方の方が、意外と色々とスムーズに流れるのです。
そして、意外と思ったよりも簡単に、共感してくれる人が現れてくれて、お互いに認め合える関係ができていくのです。
あの頃あんなに頑張ったのにできなかったような繋がりが、「自分のありのまま」を生き始めると、生まれ始めるのです。
そして、自分でも時々信じられないような能力も発揮し始めたりもします。
悟りを開いた人が、「あなたがハンドルから手を離せば、人生は一番うまくいく」と言っている意味が今となっては凄くわかります。
自然と湧いてくる「欲求」とか、心の中の「声」にちゃんと耳を傾けるようになると、
段々と「自分が本当に求めていること」に気づくようになっていきます。
それが一見、今までの自分の「常識」からすると、
「こんなことしてもなあ」とか「今これをする意味があるの?」ということでも、
やっていってみると、自然と「なんだかうまくいく」という風になっていくのです。
「自分の人生、ひらめきを信頼して、リラックスして生きる。」
これが一番の近道だと実感しています。