☆「多く得れば」不幸は増える。「引き算」のススメ。
さて、これもInstagramの投稿なんかでもちょくちょく触れるけど、
私たちはどうしても「何かを得ることで幸せになれる」と思いこんでいるところがあって、
「できるだけ多くのお金を稼がないと」「貯金を増やさないと」
「良い相手と結婚しないと」「良い家に住まないと」・・・
という風に、「多く得る」ことを目指して生きている人がほとんど。
もちろん、「たくさん得て楽しむ」ということは悪いことではないし、「求めるべきではない」とは言わないけど、
今回は、逆に「引き算」をすることで、「幸せ」が見えてくるというお話。
◎私たちが求めるものは
先ほども書いたように「多くのものを得る」ということ。
人はなぜ「多くを求めるのか?」、それは「安心したい」から。
これは特に私たちが「農耕」を覚えてからさらに、そうなったと言われていますが、
「貯めこむ」ことが=「安心」につながると思い始めた。
だから、「ゴミ屋敷」の人なんかも、寂しさ、不安を埋めるために、
そんなにたくさんのものを買うお金はないけど、とりあえず「ゴミ」ならいくらでも溜まるという感じで、寂しさや不安を埋めようとする。
これはお金持ちでも同じで、どんなお金持ちでも、まだ稼ごうとするし、
車なんて1,2台あれば十分家族で事足りるのに、「コレクション」したりするし、
洋服だって、「体は一つ」なのに、何百着も買ったりする。
やってることはお金持ちでも、ゴミ屋敷でも余り変わらないw
つまり、私たちは、「何かをたくさん得て、貯めることで安心が得られる」と思いこんでいる。
◎じゃあ、十分あったら?
でも、例えば、今、あなたの家に5年分の食料があるとしよう。
じゃあ、完全に安心?かと言えば、人は「先を想像する生き物」なので、
「この食べ物が腐ったらどうしよう?」
「誰かが奪おうとしたらどうしよう?」
「じゃあ、5年後はちゃんとまた手に入るの?」
「一応5年後に備えて、頑張ってさらに手に入れよう」
とどんな状況でも、「不安」を見つけてくる。
つまり、状況がどうなろうと、「不安を感じることは出てくる」。
逆に、どんな状況であろうと、不安を感じない人は感じない。
◎お金に価値がある?
さあ、もう一つ、違う角度から見てみると、
「あなたは今から、お金はいくらでも自由に手に入ります。
でも、そのほかは一切手に入れることはできません」
と言われて、喜びますか?ww
あなたの手元に、お金はどんどん増えるけど、欲しいものは何も手に入らない。
「そんなお金要らねえ!」って思いますよね?
これも、前のInstagramの投稿でも書きましたが、僕は「GTA5」というゲームが好きで、
そのゲーム内の「株式投資」でバグ(エラー)が起こって、お金が1800倍になって、
総資産1兆円(100億ドル)越えしたんですね。
そしたら、ゲーム内に存在するすべての不動産を購入しても、
買えるだけの車や、ヘリコプター、戦車まで買っても、お金が余る余るw
しかも、所持金として持てる金額が限られているので、他のお金は株式投資をするので、また増える。
お金をいくら持っていても、もうやることが無いw
そう、結局は「お金」に価値があるんじゃなくて、
「お金によって手に入るもの」や「手に入るまでの過程」「あなたの評価としてもらえるお金」に価値があるのであって、
「お金がたくさんあるから、幸せ」ということにも結び付かない。
逆に、お金は全然持てないし、家も持ってないけど、
森の中で、自給自足で生きている人の方が、実は「安心」だったりする。失うものが無いですからね。自分の命以外。
◎逆から見ると
そう、一昨年だったか、3年前だったか、日本に連続して、
「強い台風」「非常に強い台風」が襲来して、日本に被害をもたらしましたが、
僕は特にあの時、なぜだかすごく「風が怖い」と感じていて、直接的に被害を受けたわけじゃないですが、
「台風が来る」のがすごく恐ろしかったんです。
その時に感じたのが、「キャンピングカーで生活してたら、台風が通らない場所に移動できて便利だなあ」ということですw
そう、「家を持つ」から、「台風で家がつぶれたらどうしよう」とか、「子供を非難させないといけないけど、学校の体育館で他の人と一緒は嫌だな」とか
色々なことを考えるんですが、そもそも家を持ってなくて、
キャンピングカーで移動出来たら、気楽だし、「家の心配」をしなくて済む。
「持っていない」ほうが、「守るべきもの」が少なくて、「心配・不安が減る」。
そうやって見ていくと、実は「不安」って、「得たもの・持っているものを失う」ことへの「恐怖」だったりするのです。
そう考えると、「たくさんのものを得る」ということは、それだけ「得たものを失う」ことへの「不安」が増えることにもなります。
◎「欲」「煩悩」を滅するのはこのため
ここで、結構勘違いされるのが、「仏教」などで、
「煩悩を滅する」「欲を捨てる」みたいなことが、「修行」とか「良いこと」という風に解釈されていて、
「悟りを開くには欲を捨てないと」的に、逆に言えば「欲を捨てれば悟りを開ける」みたいに
とらえられがちだけど、そういうことじゃなくて、
「別に欲を持つことは自然なことだし、悪いことでもないけど、何かを手に入れると、不安・心労が増えるから、それに捕らわれて、真実に気づきにくくなるよ」
ということです。
だって、「あなた安心したいんですよね?」でも、「たくさん得ようとすると、その分心労や、失う不安が増えて、本末転倒はなはだしいですよ?」
ということです。
そう、私たちが求めている「安心(幸せ)」は、私たちの多くが目指している、
「多くを得てため込む」ということでは、逆に遠ざかってしまいがちだということです。
◎本当の「幸せ」とは?
そして、本当の「幸せ」とは、
そういう、「安心を得るために、多くを得ようとする」というような矛盾や、思い込みから解放されるということが大切になってきます。
僕は「欲しい」と思うこと、それを手に入れようとすることは別に悪いことではないし、
出来れば、「色々体験して、楽しみたい」と思いますが、
それに「執着」し始めると、本当に苦しみが増えます。
「手に入れるための苦労」「思うように手に入らない苦しさ」
「すでに手に入れている人への嫉妬」「簡単に手に入れた人への批判」
「手に入れられない自分への幻滅」・・・
実はそういう、「苦しみ、不満、不安」が無い状態が本当の「幸せ」なのです。
◎引き算の幸せ
先ほども言いましたが、日ごろの自分の「思考」を観察してみると、
「先のことを想像した時の不安」というのが本当に多いことに気づきます。
「こうなったらどうしよう」「このままじゃこうなるんじゃないか」
「この先どうしたらいいんだろう」「10年後は大丈夫か?」
という感じで、「今考えても仕方のないこと」を考え続けています。
そして、多くの人は、そうやって考えつつも、「行動を変えよう」とはしないのです。
考えても仕方のないことを考えて、不安になって、それに対して対策もせず
ただ単に「不安」を持ち続けている状態です。
そして、これも以前の投稿で書きましたが、私たちの「悩み」を分析してみると、
ほとんどが「未来に対する不安」だったり、「過去の後悔」だったりします。
それらには取り組むことはできません。
もちろん、未来を見越して、予測して前もって備えておくということはできますが、
その予測が本当に当たるかは分からないし、備えが役立つかもわかりません。
「過去」で過ぎ去ったことについては、例えば「相手に謝る」ことや、
過去の失敗を教訓にして、今の行動に気を付けることはできても、やはり過去を変えることはできません。
このように、見ていくと「今どうしようもないことに対して、悩んで、起きていないことに勝手な予測で行動したり、どうしようもないことを考え続けている」
ということが分かってきます。
そういう時間って、無駄だなって思いませんか?
その「幻想」に対して考えたり、頑張ったりする時間が少なくなれば、
もっと時間を有効に使えたり、不安を感じる時間も減る気がしませんか?
そして、そうやって「心の喧騒」が静かになると、心が落ち着くし、
今目の前に存在しない、「幻想」を見なくなると、今が明晰に見れるし
未来を勝手に思い描いて湧いてくる「不幸」を思い描かなくなると、
今目の前の「幸せ」を見れるようになっていく。
そう、今まで「足そう」「補おう」「埋めよう」としてきた、
「できるだけ多くを得よう」という心が静まれば、少なくとも、
「不安・不幸」が減っていくのです。
そして、不安に捕らわれず、すっきりとした目線から「いま」を見た時に初めて、
「いま」のすばらしさに気づき始めるのです。
今までは、「未来につながる現在」ととらえていたために、
「未来に対する不安」を「足した」現実としてしか「いま」を見られなかったのです。
「いま、頑張っておかないと未来が大変になる」
「いま、こんなんじゃ未来が思いやられる」という感じで。
そう、常に「いま」が「未来への不安」を受け止めるという重荷を背負わされてきたんです。
でも、今まで、そうやって思い描いて、その通りになってきましたか?
僕なんて、たった1年前でも、こんな風に「占い師」とか「講座」なんてしていると思ってませんでしたよw
そう、「未来は、未来の自分がなんとかしてるだろう」と思って、切り離してください。
あなたが見るべきは「いま」だけです。
そうやって、「未来の不安」が無い状態、考えても仕方のないことを考えていない状態、自分の運命を信頼できている状態。
それこそが、「安心」であり、「幸せ」なのです。
「え?そうなの?つまらない・・・」と感じましたか?
でも、試してみてください。
「たくさんのものを得ようとする」と、「不安」は増えます。
逆に、どんどん「引き算」をしてみれば、「いま」がもっと愛おしく見えてきます。
仕事中、「私ってすごく頑張ってる。ありがとう」と感じたり、
こうやってネットを通して、誰かとつながれること、
世界には素晴らしいものがあって、それを楽しむことができる。
「私」として生まれて、いまここに存在できている。
そのことの奇跡に比べたら、「何かを達成する」なんて小さなことです。
あなたに必要なことはやってくるし、
「引き算」をするほど、満たされていくでしょう。
そして、根本的に「満たされている私」が心の底から欲しいものを手に入れていく。
世間体や見栄の為に、なぜか満たされない気持ちを埋めるために何かを手に入れようとするのではなくて、
「私が私らしく生きるためにはこういうものが必要」というものを手に入れていく。この新しいステージの喜びが待っていることでしょう。