[メイン003]「引き寄せの法則」とその向こう側[1]

☆[メイン003]「引き寄せの矛盾」とその向こう側

さて、前回は「序章」という感じで、まずは僕が現状に至たった過程での大きな「ターニングポイント」だった、

「パニック障害」になったところまで解説しましたが、

ポイントは、「私たちは何気ない「当たり前」のことでも、そこには「自信」があるからできている。

「パニック障害」などになって「自信」を失ってしまえば、顔を洗うなんてことさえも怖くてできなくなる

これがまず一つ目のポイントです。

結局最終的にはこの「自信」が結構な重要なポイントになっていきます。

それでは、今回の内容に入っていきます。

大きなテーマとしては、「引き寄せの法則」が抱える矛盾点です。

今回書くことも、今まで僕のブログやInstagramをずっと読んでくださっている方には、重なる部分も多いかと思いますが、

今回初めて読むという方もいるので、書かせてください。

◎「引き寄せの法則」を実践する

さて、「パニック障害」になって、一時期は「この先どうしたらいいんだ!」という

「絶望感」「焦燥感」に襲われて、そこから「自己啓発」「スピリチュアル」に出会い、

「引き寄せの法則」を知ったことで、一気に「これを成功させていけば、人生が何とかなるかもしれない!」と

藁にもすがる思いで、「引き寄せ」を実践し始めました。

すると、最初の頃は、ふと思った人から連絡が入るとか、ふと食べたいと思ったものが夕飯に出てくるとか、

多少の臨時収入が入ってきたり、ちょくちょく「引き寄せられた」と感じられることが起こるので、

僕もワクワクして、色々な「願い」を紙に書いたり、毎日思い描いたりしていました。

ただ、ちょくちょく「細かい夢」みたいなものは叶うんですが、

肝心の「6億円」とか「500坪の豪邸」「高級車」とかは一向に叶わない。

「まあやっぱり、金額が高いとなかなか叶わないもんか」という感じでした。

まあ今考えれば、「そりゃそうだろ」という感じだし、それらを手に入れることが自分にとって、本当に幸せなのか?

と言ったら、微妙なところでしたが、当時は真面目に叶えようとしていました。

◎「パニック障害」一応克服

そうやって、「引き寄せ」を実践しつつ、勇気を出して外出したり、

電車に乗る練習などを積み重ねて、徐々にある程度の外出ができる程度には、「パニック障害」との付き合い方も分かってきました。

また、家の近くのパン屋さんなどでアルバイトもして、何とかある程度のお金を稼げるようにまではなりました。

しかし、それでも、精神的に疲れたり、長距離の移動となると、パニックが起こりそうになるので、

なかなか本当に「ある程度の収入」以上稼ぐのは難しいかな?という感じで、常に、将来に対する不安は付きまといました。

その頃に出会ったのが、今の奥さんです。

◎交際~

20代前半で「パニック障害」になり、そこから何年も一進一退を繰り返しつつ、パニック障害もある程度克服しましたが、

気づけば20代後半になっていました。

そんな状態にもかかわらず、今思えばなぜそんなことをしようと思ったのか、分かりませんが、

「自分が作っている曲を女性ボーカルに歌ってもらいたい」と思い立って、ネットなどで「女性ボーカル募集」を開始したのです。

まあ、常に将来に対する不安を感じつつ、でも「パニック」の影響で、就職して、毎日同じ時間に、会社に通う自信もない。

そんなくすぶった状況で、何か起爆剤にでもなれば・・・という心理だったのか?

まあ今となっては分かりません。それこそ「そんなことやってる場合じゃないでしょ?」という感じなんですがw

全部で、6人くらいの女性が応募してきてくれて、カラオケで会って、歌を聞いて・・・

その最後が奥さんでした。

そこから、交際することになりました。

まあ、二人のなれそめを詳しく書いても仕方ないので、省略しますが、

交際するうちに、彼女(奥さん)のお兄さんが「アクリル加工」の工場を経営していて、「ネット部門」を担当できる人を探している・・・

という話になって、会って話すことになりました。

僕は、パニック克服を頑張っている間も、何もしていたわけではなくて、ネットビジネス(アフィリエイトなど)も実践していて、

そちらでも、それほど才能があったわけではないのですが、それこそ「ある程度の収入」は稼げていたので、

ある程度の「ネットの知識、ホームページの運営」などの経験がありました。

そこで、お兄さんから「まあ勝手に言わせてもらうけど、二人ともいい年齢やし、そのうち結婚するやろ?そうなったら、会社のネット部門をやってもらえたら・・・」

みたいな話になっていきましたw

◎同棲開始

そこから具体的に、この話が進んだわけではないんですが、

当時、大阪は「オリンピック招致」の為に大規模な「区画整理」が始まっていました。

住民の方に大阪府の方から「新しい家(資金)を提供するので、引っ越してもらえませんか?」という感じです。

その対象に、当時の彼女の実家も入っていました。

そこで、彼女から「お父さんは、お兄ちゃんと同居することになったから、私は一人暮らしすることになりそうやけど、みんなが『女の子一人も危ないしどうせなら一緒に住んだら?』っていう感じになってるけど、どうする?」

ということになり、「じゃあ、一緒に住むか・・・」という流れになっていきました。

そう、今思えば十分これも、「引き寄せ」的な話なんですよね。

当時はあまり何も思ってなかったけど、「なるべくしてなる」とはこのことで、

二人がそれほど「結婚したい!」と思っていたわけでもなく、

自分たちが積極的に動いた結果でもなく、周りから「条件が揃っていき」、

気づけば、一緒に住み始め、「じゃあ、もう籍入れたほうが都合が良いか・・・」

くらいの感じで、婚姻届けを出しに行き・・・。

いつのまにやら「夫婦」になっていました。

◎ネットショップ運営開始

そして、その住んだ場所が、奥さんのお兄さんの会社の近くで、

そこから、本格的に「ネットショップの運営」が始まりました。

「アクリル」とは、パッと見はガラスのような透明のプラスティックの一種で、

水族館などの水槽に使われているのは、全てアクリルだと思います。

まずは、お兄さんの会社で、どのような製品を作ることができるのか?というとこから、

協力してくれる、提携している「アクリル工房」を2社紹介してもらって、

そこの職人さんたちと話し合って、僕が考えたアイデアや、職人さんの提案で、オリジナル商品を作ってもらい、

それをウェブショップで販売し始めました。

まあこれも今思えば、自分なりによくやったなあと思います。

商品販売の経験も無ければ、アクリルなんて知らなかったくらいだし、

職人さんたちと打ち合わせとか、商品の受け渡しとか、当時の僕からしたら全く縁のないことばかりでしたが、

それでも、割と早いうちから売り上げがあがって、一時期はヒット商品なども出てきて、

なんとか運営し続けていました。

◎ウェブショップ終了

そこから、約3年、アクリル商品販売を続けましたが、

その間に、時にはどうしても売り上げが上がらずに、バイトもし始めたのですが、

不思議と、驚くほど嫌な人・・・というか合わない人がいて、なぜかやたらと僕に突っかかってくる。

もうあまりにそれがひどいので、バイトを結構すぐに辞めて、

「わかったわかった、ウェブショップで何とかしろってことね」という感じで、やり始めたら、普通にバイトで稼ぐ分くらい売り上げが増え始めたり。

そうやって、何とか続けていましたが、ある時から、何をどう頑張っても、状況が良くならなくなり、

「これはもう、家賃も払えない」という状況になってしまい、ウェブショップを閉鎖して、

実家の神戸に帰るという決断をしました。

さて、今回はここまでですが、ここまでの経験から、

1,「そんなことやってる場合じゃない」を超える

状況的に考えたら、「将来が不安」「これからどうしよう?」という状況で、

「女性ボーカル募集」なんてはじめてどうするの!?という感じですが、

その「衝動」に従ってみたことで、のちの奥さんと出会い、

大阪で同棲することになり、ウェブショップの運営につながっていく。

このことから、「頭で考えるよりも、衝動に従ってみる」ということの大切さがわかります。

もちろん、そのことに気づいたのは、それからしばらく後のことですけどね。

2,「なるべき」ことはどうしたって「なる」

僕たち夫婦が、「同棲」⇒「結婚」という流れも、本当に二人ともまだ思い描きもしてなかったし、

「大阪がオリンピック招致」⇒「奥さんの実家が区画整理」⇒「お父さんがお兄ちゃんと同居する」

というような、僕たち二人の力ではどうしようもない「流れ」が起こったり、

私たち個人(自我)の思惑とは違って、起こるべきことは自然と起こってくる。

3,やらない方が良いことは邪魔される

そして、これも今回書いた「バイト」の話だけじゃなく、人生で何回か経験がありますが、

頭で考えて、「こうしたほうが良いかも」とやり始めたことが、どうしてもうまくいかずに、その瞬間は

「なんでこんなに邪魔されなきゃならないんだ!」と思うんですが、

結局後々、「ああ、その方が良かったな」と思うことばかりです。

「その後の人生のためには、それがうまくいかない方が良い」ということもあるのです。

ちょっと、「引き寄せの法則の矛盾」を書くには少し長くなりすぎるので、

また次回に続きます。

次回は、「引き寄せの法則」とその向こう側[2]