[サイド044]「現実を受け入れると」創造力が上がる!

☆[サイド044]「現実を受け入れると」創造力が上がる!

さて、今朝のInstagramの投稿でも予告しましたが、

「現実を受け入れる」ということ。この大切さと、本当の意味。ということで書いてみたいと思います。

まず、今朝のInstagramの投稿を引用しておきます。

◎「目の前の現実を受け入れないと」

さて、自己啓発やスピリチュアルで

「目の前の現実を受け入れる」とか

「過去を受け入れる」という言葉が出てくる。

でも、以前は僕もそうだったけど

そういう言葉を読みながら、聞きながらも

どこかで

「いやいや、この現実が嫌だから変えたいのに、なんで受け入れなきゃダメなの?」

と思って、積極的に受け入れられなかった。

でも、大きな「気づき」があってからは、

その「現実を受け入れる」の本当の意味が分かった。

私たちは常に「思い」によって「現実」を生み出している。

それは、その「変えたい現実」も例外じゃない。

あなたの人生に起こることは全てあなたの責任であり、

あなたが望んで生み出したこと。

そうじゃなきゃ、あなたの人生にそれは起こってこない。

そして、その自分で生み出した「現実」を受け入れないということは

あなた自身の「創造力」を認めない!

ということ。

あなたは「私には創造力は無い!」と信じながら、

あなたの望み通りの「現実」を生み出すことはできない。

そして、あなたの「過去」、「目の前の現実」を本当に受け入れた時

その「悲惨な経験」があなたのパワーに変わり始める。

◎私たちは常に「創造」している

このブログでは何回も言っているけど、私たちは「現実」を認識するのは、

「五感」から入ってくる情報を「脳(意識)」で編集したものを、「再構築」した、「超リアルVR動画」を「脳(意識)」内で見ているようなもの。

前回一部ご紹介した「般若心経」にも、「この世界(自分が認識する現実)には『実体』はなく、全ては『空(くう)』である。

そのことに本当に気づけば、全ての苦悩は消えていく。」

ということが書かれている。

分かりやすい例で言えば、例えば街中で、誰かが人を殴っているとする。

すると、あなたは「なんてひどい!許されないこと!怖い!」と感じる。

しかし、それが「リング」の上で行われていると、「どれだけ派手に殴るか?」ということが、

「素晴らしい!」という評価になる。

まあ、もちろん「ルールがある・ない」という違いがあるけど、

行われているのは同じ「人を殴る」という行為だし、リングの上でも人が死ぬ場合もある。

でも、「国民的ヒーロー」にもなる。

このように、全ての出来事自体には意味はなく、それを見て、判断する側の「常識」「思い込み」「ルール」「信念」・・・

などの違いによって、同じ出来事が色々な解釈になるだけであって、

さっきの「般若心経」でいう「実体」があるわけではなく、全ては人の数だけの「解釈」が存在するだけ。

「人の死」も、人によっては「生きる気力をなくすぐらいの悲劇」だし、国によっては、

「体から解放されておめでとう!!」という感じで、お祭りをして故人を送り出す国もある。

「死」=「悲劇」「避けるべきこと」でもない。

そう、私たちが「現実」として見ているのは、すべて、その人の「常識」「基準」と比較して、

「これは悲劇だ」「これは幸せだ」と後付けする「ストーリー」のかたまりだということが分かる。

そして、そういう「常識」の「フィルター」を持っていると、どうしてもそのことばかりが気になる。

「お金」のことが気になる人は、常にお金に関する情報ばかりを集める。

「恋愛」のことが気になる人は、常に恋愛の情報ばかりを集める。

その情報を自分の「脳(意識)」内で、「編集、再構成」するから、

一人目は「お金にまみれた人生」というストーリーになっていくし、

二人目は、「恋愛に彩られた人生」になっていく。

当然、一人目は、「株トレーダー」「ビジネスマン」・・・などの知り合いが多くなり、

2人目は、「仲のいい異性」「憎んだ異性」という人が多く登場することになる。

自然と、その人が人生でフォーカスする「ストーリー」にふさわしい「キャスティング」になっていく。

私たちは「フォーカス」することで、「そういう人生」を創り上げていく。

◎すべての「望み」は叶っている

そして、これはなかなか信じられないかもしれないけど、

あなたの人生において、「あなたの望みはすべて叶っている」。

「そんなわけない!」と思うと思うけど、冷静に見ていくと分かってくる。

例えば、「仕事がやりがいが無いなあ」と感じて、「これ以上頑張りたくない」と感じている。

でも、あなたは「生活のためには我慢して働かなければいけない」とその仕事を辞めない。

すると、「命(神)」は、「この人は、仕事が辞めたいけど、自分で辞めるという選択肢はえらびたくないのか。それじゃこれはどうだろう?」

ということで、「脳腫瘍」をプレゼントしてくれて、

「もうこれ以上頑張らなくて良くて」「自主的に退職しなくてもいい」望みを叶えてくれたり。

直接「脳腫瘍」を望んだわけではないけど、

「イヤな上司」「良くない体調」「人生を楽しめないシフト」・・・

そういう「仕事を辞める理由」をいくつも用意したのに、あなたは辞めない。

「じゃあ、これくらいインパクトのある事じゃなきゃ、自分の本当の気持ちに従えないのかな?」

という感じで、あなたが我慢すれば我慢するほど、どんどんインパクトの強い「ハプニング」をプレゼントしてくれる。

あなたがあなたを「ないがしろ」にするほど、その分大きな「お返し」が返ってくる。

◎人生は、「対極」を感じるために在る

しかし、じゃあその「脳腫瘍」で「ジ・エンド」かというと、そうではない。

この世界の仕組みは、「二元性」の世界。

「美しい⇔醜い」「高い⇔低い」「豊か⇔貧しい」・・・

そういう「対極」が無ければ、逆を感じることができない。

つまり、人生で起こる「悲劇的」なことでも、その対極をより一層効果的に感じさせるために起こってくる。

スピリチュアルな言い方をすれば、

「全ての出来事は、『私』が何者か?『魂』の成長のためには何が必要か?」

ということに気づくために起こってくると言ってもいい。

「私」が「豊かさを生み出す人」だと感じるためには、まず「貧しさ」を体験しなければ、分からない。

「私」が「力強い人」だと感じるためには、まず「弱さ」を体験しなければならない。

「当たり前の日常」が「幸せ」だと知るためには、その日常が崩れるような体験をしなければならない。

そう、だから「悟りを開いた」人は、「無欲」になっていく。

何かを強く求めれば、その「対極」も生み出していくから。

だから、「足るを知る」。この日常がまず、「満たされていて、幸せ」だということに気づいていること。

今日生きられている。自分以外の人が存在してくれていること。色々な種類の食べ物が存在して、毎日楽しめること・・・

あなたが心から感謝を感じていれば、「不足」を生み出す必要はない。

◎「現実を受け入れる」とは、全てを信頼するということ

そして、「現実を受け入れる」というのは、

「ああ、私は今、『もっとこうなって欲しい』とか『もっと満たされたい』と考え続けているから、

その『対極』を生み出しているんだな」と気づいていくこと。

そういう「現実」を生み出す力が、あなた自身にあるということに気づくこと。

そして、「憎いあの人」「あの時あんなひどいことを言った人」も、

あなたの「本来の姿」「本当の価値」に気づかせてくれるために、配役された、

あなたの人生を効果的に彩ってくれる「キャスト」だと気づいていく。

「あの時、あの人がああ言って、私が落ち込んで、進めなくなったことで、同じような人を救う力を手に入れたんだ!」とか、

「あの病気があったおかげで、自分が本当に望むことに気づけた」とか、

今までの「伏線」を回収していく。

だから、これからの人生の中でも、「イヤな人」「ひどい言葉」「大変な出来事」が起こっても、

「おお、そう来たか」「じゃあどうしよう?」「私はどうしたい?」という感じで、

その起こってきたことを信頼して、自分が用意した「シナリオ」そして、

「命」があなたに望んでいることを信頼して、受け入れていく。

「私はこのことで、何を学び、何に気づくべきだろう?」って。

◎「問題」を望まないのならば、動き続けること

そして、先ほども言ったように、

「仕事が嫌だなあ」と感じながらも、その自分の「心の声」を無視して、何かを続けていたりすると、

大きな「ハプニング」をプレゼントされるように、

あなたが気になりながらも、「言いにくいしなあ」とか「私が我慢すれば」とか考えて、続けていたり、

「変化を起こしたい」と感じながらも、今まで通りのことしかしていない状態が続けば、

「どうしようもなく、動かないといけない、次に進まないといけない」というような「ハプニング」が起こりやすくなっていく。

もちろん、そんな「ハプニング」が起こるまで待つのも良いけど、

できるだけ大変な「問題」を避けたければ、「一日一歩でも先に進む」ということ。

昨日とは違う何かをやる。少しでも進歩するように練習する。

気になっていることを一つ一つ済ませていく。新しいことに挑戦する・・・

そして、その一つ一つに満足して、自分を評価していく。

それでも、不意を突いてハプニングが起こったり、思い切ってやってみたことで、失敗することもあるかもしれないけど、

人生を楽しむためには、常に「挑戦」が必要になってくる。

何かを望んでもいい。でも、その望みに執着しない、そして、その「対極」も受け入れる。

「みんなの人気者になりたい」⇒「その分誹謗中傷も受けるかもしれない」

「お金持ちになりたい」⇒「その分、お金の管理は大変になるかもしれない」

「幸せな結婚をしたい」⇒「その分、どんな形であれ失う時の悲しさは強くなる」・・・

子供を望み、妊娠すれば、「(女性は)出産の苦しみ」「育てる大変さ」もセットで付いてくるように、

それらもセットで「楽しめる」「幸せだと感じる」、そういう覚悟と、受け入れる心が必要になってくる。

そのことを知って、あなたの「望み」をちゃんと見つめ直してみよう。

あなたが本当に望んでいることは何か?

「リスク」「対極」があっても、手に入れたいことは何か?

それに向かって、一つ一つ進んでいこう。